変化する雨
思考メモ
◉ 変化経験値=歳を取ることとは、時間を身体に貯めること。
◉ 変化=変わっちゃったなら、次を考えればいいじゃん。

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朝から雨音が、地面を叩きつけるような音を立てていた。
梅雨入り宣言から数日間、晴れが続いていたが、
久しぶりに梅雨らしい天気の日。
いや、
昔の梅雨とは違う。
スコールのような雨だった。
熱帯雨林地帯で降る、バケツの水をひっくり返したような雨。
最近の日本の梅雨は、シトシトと降る雨が少なくなったように思う。
記憶の梅雨
私は、60年近く生きてきた。
還暦を迎える直前。
そこで、自分の子供の頃の雨の日を思い出してみた。
あの頃は、傘を叩く雨の音が、静かだった。
傘を持って歩くのが嫌いだったけど、
学校へ行くために、仕方なく傘を差していた。
傘の中は、雨に囲まれた独特な空気の中にあった。
梅雨の時期の傘の中は、音に囲まれて安全に感じた。
だから梅雨とは、
薄い水の膜の中に包まれるような季節だと思っていた。
梅雨の日の体験
小学生の頃、休みの日に傘を差して、学校へ行った記憶がある。
理由は覚えていない。
暇つぶしだったのだろう。
梅雨の時期は夏至も近く、日が沈むのも遅い。
でも、雨雲が広がっているから薄暗い。
シトシトと降り続ける雨。
誰もいない学校。
校庭の水道で、靴の泥を流していた。
ふと、気配を感じて後ろを振り返った。
女性が傘を差して、職員玄関に向かっていた。
赤い傘で顔が見えなかった。
先生かと思って、蛇口を締めて顔を上げた。
ほんの一瞬だったのに、誰もいなかった。
最初に何が起こったのかわからなかった。
気のせいかと思った。
でも、砂利を踏む音がした気がした。
シトシトと雨が降る中。
何だかわからない気配を感じて怖くなった。
雨の音と、砂利の音。
いまだに記憶に残っている、静かで怖い梅雨の日の記憶。

梅雨から雨季へ
でも最近の梅雨の雨は、
雨季という表現が近い気がする。
集中豪雨になることが多くなった。
ニュースでも、線状降水帯の発生を警告する回数が増えた。
梅雨の雨が災害に繋がる。
昔も梅雨の時期は雨の災害があった。
でも、一時期に大量に降る雨ではなかった。
長く滞在する前線により、蓄積された雨水による災害だった。
この違いは、全国的な気温の上昇の変化が影響しているんだろう。
地球温暖化問題は確実に、静かに、進んでいるようだ。
私が感じていた、静かで不思議な季節が変化していた。
「変化すること」とは?
雨だけだはない。
夏の暑さも、冬の寒さも、
子供の頃に感じていた季節の体感と変わってきている。
これは私が歳を取ったからそう感じているのだろうか?
それとも日本の気候が変化してきているのか?
たぶん、両方。
私の感じ方も、
日本の気候も、
世界の全てが、変化している。
変化は時間を現している。
過ぎた時間の積み重ねが、
周りを変化させている。
歳を取るとは、変化をしていくこと。
この変化をどうやって受け入れよう?
変化の受け止め方
一番の変化を知る鍵は、自分自身だろう。
肉体も心も変化している。
でも私は、歳を取ることは受け入れている。
人から若く見られたいとも思わない。
変わっていく自分も嫌いではない。
ただ、やりたいことが歳のせいで、
できなくなることが嫌だな⋯とは思う。
変化することは、
時間を身体に貯めていくことなんだろう。
過ぎていく時間の中で変わっていく
状況。
環境。
境遇。
全てが、体験した自分の経験値になる。
溜まっていく経験値。
それは、変化に対しての抵抗力になっていく。
変化に耐性のある世代
戦後の高度成長時代に生きてきた親を持ち、
その終身雇用の安定志向を絶対として教育され、
バブルを青春時代に経験し、
弾けた泡の中で、就職概念が変わっていく。
ダイヤル式の黒電話から、
プッシュボタンの電話になり、
ポケットベルが流行り、
携帯電話になり、
スマホが生まれる。
紙の帳簿が主流の時代だったのに、
パソコンが使えないと仕事がないと言われる時代になり、
今は、AIが仕事を奪うと言われる時代になった。
昭和のおばちゃんである私は、
またか~。
と、思っている。
昨今の変化の流れは、
生まれてきてからずっと繰り返されていることだ。
新しい技術と古い体制の摩擦。
形は変わるけど、本質は同じだ。
ただ、変化しているだけだ。
世にいう団塊ジュニアはその耐性がついているはずだ。
還暦間近のおばちゃんがそうなのだ。
それより少し若い世代になる団塊ジュニア達。
彼らはバブル時代の謳歌を社会に出る直前で奪われた、もっとも過酷な時代を生きた世代のはず。
変化耐性はMAXだろう。
だからこそ、今のAI革命に対する日本の態度は冷静なのだろうと考えている。
変化経験値が高い人間の変化への対処方法
日本でのAIの活用について、批判的な意見を目にするたびに、思う。
慎重なのだ。と。
変わっていく時代を生きてきた人間にとって、変化への対処方法は何にでもすぐに飛びつかないことだ。
よく見て、安全か確かめる。
少しずつ触ってみて、使い方を考える。
その中から、新しい利用方法を考える人が必ず出てくる。
散々、変わっていく世の中を見てきた世代が現役だ。
今更、抵抗して利用しないことはないだろう。
ただ、見極めているのではないだろうか?
私たちの社会で、安全に活用される利用方法を考える時間が必要なのではないだろうか?
これが変化経験値の高い人間たちの対処方法なのだろう。
変化したその先を”考える”を伝えること
時間が過ぎていくたびに
何かが少しづつ変わっていった。
時計の針が回るたびに、
何かが、生まれて
何かが、失われていた。
私は、見ていることしかできなかった。
その流れに身を任せていくことしかしていない。
時間を止めることができないならば、
受け入れて、その先を考えていくことしかできない。
変化した状況で、
じゃあ、どうしようか?
と、考える。
かと言って、日本のごく平凡な普通のおばちゃんの出来ることなんて、たかが知れている。
それでも、
その思いを残している。
デジタルで、インターネットに残している。
それくらいは
出来る。
誰かが、読んでくれれば、
じゃあ、どうしようか?
を、一緒に考えてくれるかもしれない。
そんな人が、いるかも知れない。
変化を進化する人間に繋げる未来
私は、人間の未来は
広がる可能性の中にあると思っている。
凄い事を考える人がいて。
凄い物を作る人がいる。
色々な問題を解決して、
知らない世界をもっと広げるために、
宇宙に飛び出していく。
人間とは何か?
なぜ、生まれてきたのか?
わからない問題に、とことんぶつかっていく。
だって、そのほうが面白い。
そして人間は、面白いことが好きな生き物だ。
雨を見ながら…
激しい雨音を聞きながら、
変化している環境を考える。
変わっていく世界が、
人間にとって厳しい状況だと分かっている。
絶望するのは簡単だ。
でも、その先には何も無い。
だったら、変化した状況で出来ることを増やせば良い。
変化の中で生まれた技術。
私が子供の頃には無かった技術。
私には思いもつかない、
新しい技術の活用方法がきっとある。
私たちは思っている以上に、変化を生き抜いて来ているから。
だから、まずは、
変わることを受け入れよう。
この梅雨も受け入れる。
スコールのような
叩きつけられる雨の日も、
今日は凄い雨だな…
って、呟いて、
日常を受け入れるのだ。


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