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連載小説|第一回|青い瞳は虚空を見つめる

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※この物語は連載小説です。こちらは第一話となります。

Act1. 青い瞳は地面を見つめる ①

きゅうりのキムチを口に放り込んだ後、コーヒーを流し込む。
決して、美味くはない。

なのに、なぜそんな食べ方をしているのか?

他に食べ物が無いからだ。

冷蔵庫の中は既に固形物はない。
かろうじて、チューブのワサビが入っている。

コーヒーだけは、切らさない。
だが、コーヒーの豆も限界に近い。

なぜ、こんなに値段が高騰した。
コーヒーよ。
お前がいなければ、私は死ぬ。

このまま、仕事が来なければ物理的に死亡する。

どうするか…。


ところで私は現在、独立起業し、探偵をやっている。
その名も『神崎探偵事務所』。
私、神崎知奈の苗字から、ダイレクトに取ったネーミングである。
この苗字は結婚前の旧姓でもある。

昔は夫と二人で探偵事務所を経営していた。

だが、現在は一人社長として働いている。
察しの良い人ならば分かるであろう。

そのとおり。
離婚したからだ。

探偵が不倫現場を押さえて離婚した。

ラブホから出てくるところを激写したのは私。
激写されて、カメラを投げつけられたのは彼。

探偵が探偵に現場を押さえられて離婚とは…。

笑えない話である。
でも、笑ったけどね。

にしても、あの、バカ元夫。

絶対、嫌がらせしているに違いない。

かつての私のお得意様に、何か吹き込んだな。
こんなに、客が来ないなんて…

もう新しく開業してから3ヶ月も経つのに客が来ない。

妨害しているに違いない。うん違いない。
どうしてくれよう。

私は、自分の爪を噛み締め、ウンともスンとも言わない扉を睨みつけた。
睨んだところで何も変わらないが、なにか手を打たないとこのままじゃ事務所の家賃も払えなくなる。

(チラシ、配ったのにな。)

かつての職場は、夫を所長に他3人の従業員で回していた。
全部で5人。そこそこ大口の仕事が入る事務所だった。
基本的な内容はほぼ浮気調査だ。
たまに、家出した子どもの捜索。
企業の情報漏洩に関する調査もやっていたことがある。

その伝手で、私の事を気に入ってくれている顧客に独立の宣伝をした。
さらに紹介のお願いも頼んでおいた。

自慢じゃないが、かつての職場には私のファンとも言える顧客だっていたのだ。
結構人気者だったと思う。

確かに、現在の事務所は、以前の都内一等地と比べるとかけ離れた場所にある。
でも、家庭内問題を抱えている人は住宅地に多いはず。
だから、横浜市のJR線の駅前に位置する、この事務所だって立地条件は悪くないはずだ。

私は、空になったキムチのパックの底にあるタレを、箸で未練がましくかき集めながら
(タガミーでもしてこようかな~。)
と、隙間時間バイトアプリの画面を眺めた。


「だからもっとコスパの良い食料を買っておきなさい、と忠告したのに…」

突然、パソコンから声が響いた。

「うっ!だって、半額だったし、辛いの食べたい気分だったし…」

事務所の正面、唯一の窓の前に私の机が鎮座している。
その机の真ん中にあるパソコンのモニターに言い返した。

机の半分以上を占める有機ELモニターは、この事務所の高額固定財産だ。
本体のパソコンがハイスペックだから、付随するモニターも高額である。

離婚した時の慰謝料として、前の事務所からぶんどって来た。

その中のAI(人工知能)が必要だったから。

以前の事務所での、デスクワークは主に所長である元夫が請け負っていた。
経理、書類手続き、情報収集。
この分野は私の仕事ではない。

私の得意な分野は、身体を動かすこと。
探偵の本分である、追跡、尾行、貼り込み、事に至れば迎撃まで請け負っていた。

つまり、独立するためには書類仕事をしてくれる人が必要だった。

そこで私は考えた。

別に人でなくとも良くない?
私の苦手な仕事を代行してくれればいいんだから。

だから、元夫が使っていたAIに目をつけた。
一緒に働いていた時、全部こいつに任せていたのを私は知っている。

元夫はITマニアだった。
AIに名前までつけて呼んでいた。

AIの名前は『 Ket (ケット)』

事務所内に設置しているカメラやマイクを通して、会話ができる。

こいつの性格設計は元夫が使っていたときのまま、持ってきた。

私はこういう機械関係は苦手。
だから、仕方ない。

元夫からもぎ取るだけでも、凄い苦労したのだ。

『その半額の値段で、あの店のうどん麺を3袋買えたでしょうに…』
「おだまり!ケット!人間には味覚に刺激が必要な時があるのよ!」
『はいはい。知奈は刺激物ばかり好みますがね。』

まるで、子どもに言い聞かせるような口調である。
以前の職場の時からこんな感じで応対してくる。
スーパーの袋うどんの値段まで把握している人工知能め!
お前はどこぞの主婦なんか!


「仕方ない。もう一度、チラシ配ってくるか…」

私は残ったコーヒーを飲み干し、事務所の来客用ソファーから立ち上がった。

食事をする時はいつもここ。

この雑居ビルの一室は、決して広くはない。
パソコンのある所長用デスクと、来客用のソファーとローテーブルのセット。
これだけでいっぱいのスペース。

一応簡単なキッチンとトイレはある。

雑居ビルの3階って、入るのに抵抗があるのかな?
でも、探偵事務所なんて大概そんなものだ。

人目を気にする相談ごとのある人には、目立たないほうが好ましいはず。

『知奈。いい加減、翔也を許してあげたらどうですか?彼に協力してもらったほうが営業も上手くいきますよ?』
「また、その話?ケット!あいつに何か吹き込まれているんじゃないでしょうね?」

翔也とは、元夫の名前だ。
篠原翔也。

前の事務所の秘書的な仕事をしていた女性と不倫してた男。
思い出しても腹立たしい!

『いいえ、ただ、またメールが届いていますよ。翔也から。謝罪のメールです。読みますか?』
「即、処分。」
『……・』

なんか、モニターの向こうでため息をついているような気配がした。

おかしい。
人工知能って、機械だよね?
ため息付くものなの?

元夫は度々こうして連絡を取ろうとしてくる。

別れたくないとゴネていた。

———心の迷いだった。癒やしが欲しかったんだ…。
とか、言ってたな。

そうそう、あと、女らしい細かい気遣いに揺らいだとか、なんとか。

あ?
それは、私に対する当てつけですかね?
女らしくないから、疲れたと?
じゃあ、とっとと別れましょー!

といって、離婚届に強制サインさせてやった。

私が再び探偵事務所を開こうと考えたのは、不貞を働く奴らの証拠を掴んで、私のような可哀想な被害者を救済するためだ。
不倫男どもめ!ばっちこいっ!
この世の全ての不届き男達を大地に叩きつけてやる!(物理的に。)

私は決意を新たに胸に誓った。

『駄目ですよ。過剰暴行は逮捕されます。』
「えっ?な、何言ってるの?」
『いえ、不穏な思考に陥っているような気がしたもので…。』

(こいつ…人の心が読めるのか?)

モニター画面をじっと見つめた。


その時。

——コンコン。
対峙する私とAIの間の緊張感を破る、ドアをノックする音が部屋に響いた。

「あの、こちら、神崎探偵事務所で間違いないでしょうか?」

扉がゆっくりと開いていった。

合間から中を伺うようにして、まだ20代前後と見られる、黒い髪を肩まで垂らした可愛らしい女性が姿を現したのだった。

女性が室内を伺うように覗いているイラスト
illustration:Niji・journey

次回、初仕事到来なのか?扉の向こうの女性の事情とは?近日公開予定です。

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